2008年11月14日金曜日

寂寥(せきりょう)のシタール、五楼寺院の幻影

 午前中にグルの元でシタールの手ほどきを受け、午後はひたすら修練に励むという毎日が始まった。観光にはほとんど興味のなかった私は、残念なことにブッダガヤにもサルナートにも足を運ぶことはなかった。

 それよりも、インド音楽の魅力にどんどん引き込まれていったのだ。シタールを注文したNithai の工房は道の途中にあり、毎日のように顔を出して、自分の注文したシタールができるのを心待ちにしていた。

 食事の時だけ、近くのシーク教徒の親父が経営する食堂に出かける程度だった。安くて、おいしい店で、タンドリーで焼くナンと、インド風チーズ(カッテージ・チーズ)とエンドウ豆のカレー、それにトマトクフタ、サブジー(ジャガイモとオクラのドライカレー)が定番だった。

 そんな練習漬けのある日の午後、暑さと疲れでベッドに横になって、自律訓練法瞑想をしたまま、微睡(まどろ)んでしまったようだった。

 私の脳裏には少し見下ろす感じで寺院が見えていた。静謐な空気の中で、シタールの音がかすかに聞こえる。
 不思議なことに、姿は見えないのだけれども弾いているのは私だという確かな思いがしていたことだ。その寺院は、少し変わっていて、5つの鐘楼を持ついかにもヒンドゥー的混沌を表象するように思われた。

 静かで、少し寂しい気分で私がシタールを弾いている、その情景を私が見ていた。

 何とも変な夢だったのだが、その情景は妙にこころに残るものだった。

 そして話が一足飛びになるのだが、インドの夏の暑さを逃れてカシミールのスリナガールに避暑に出かけ、戻ってくるとベナレスはまだまだ猛暑が収まっていなかった。

 止むを得ず今度はシタール持参で、二度目の避暑にネパールのカトマンズに飛んだ。盗難で旅費が乏しかったが、バス旅行は懲り懲りだったので飛行機にした。その分、滞在費を切りつめるために、コテージ・オーロラではなく王宮近くの中華料理店の二階に下宿した。

 ここは奄美大島で再開を約したシチューの紹介であった。彼とは、ベナレスで再会をしていたので、あらかじめ紹介を受けていたわけである。この店は、冒険家の故植村直己さんのお気に入りの店で、店主も植村さんの写真を取り出してきては話が弾んだ。


 二度の避暑は話題も多かったが、別の機会に述べたい。

 私はベナレスのアパートの管理者であるゴパール青年に、本格的にシタールを修行したいので第一線のシタール教師を捜してくれるように依頼していた。

 再びベナレスに戻った私は、Laxman翁にシルクの反物を差し上げて暇乞いをして、Goparの案内でアッシガート地区のShri Rama Kanth Misra 翁のお宅にお伺いした。

 ベナレスは現在、古名であるVaranashiに戻っているが、これはVarna川とAshi川の間の町という意味で、アッシガートはAshi川の河口にあるGhatを指している。


 雨期となって猛暑が遠のいたのもつかぬまで、再び乾期に戻るとじわじわと暑くなってきた。私はMisraグルの元で、相変わらず外出もせずシタールの修行に励んでいた。

 インドでは暑い乾期になると、夜は屋上にゴザを敷いて、そこで眠る。

 私は、青天井の元で眠ることは気が進まず、ずっと部屋の中で寝泊まりしていたが、夜中に耳の長いネズミが体の上を通りすぎることが何度かあってから、たまらずに屋上で眠ることにした。通りに出て、露天でゴザを買い求め、ある日誘われるままに屋上に上がり一夜を過ごした。

 どこからか映画音楽が聞こえ、暗い夜空には何やら鳥が飛んでいたりして、眠れない夜を過ごした。明け方になって少し安心できるようになり、眠りに落ちた。

 朝、目を覚ますと、家の人たちはもう下に降りてしまっていた。フランス娘の弟子が一人下着姿のままでで、ヨガの修行をしていた。私は目を背けるようにして、あたりを見渡して愕然としたのであった。

 グルの家の隣は寺院であり、あのときの変な夢に出てきた寺院そっくりな建物がそこにあったからだ。私は呆然として、五つの鐘楼を見回すばかりであった。

 シタールのレッスンの時に尋ねてみると、この寺院はPanch Mandirといい、「五つの神をそれぞれまつっている五つの鐘楼を持つ寺院」という意味があるそうだ。



 ヒンドゥー語でpanch(パーンチ)というのは5を意味する。ロシア語ではピャーチである。

 余談になるが、千葉に田舎暮らしを求めてやってきた田舎町の鎮守神社が五柱(いつはしら)神社といい、Panch Mandirと同じ意味を持っていたことに奇遇を感じる。


 私はゴパールのアパートで経験した不思議な夢がある種の予知夢であることを知ったわけですが、あの寂しいような雰囲気が気になっていた。
 そのような晩年を送るという予知なのだろうかと…

 そして、実に30年の時空の隔たりを超えて、今日再びPramod Kumar のThmri Sindhi Bhairavi を聴いて、一瞬で了解するものがあった。

RAGA: Thmri Sindhu Bhairavi (part1)


RAGA: Thmri Sindhu Bhairavi (part2)


 この曲はインドに行く以前に、同級生の直(ちょく)のLPレコードで聴いていたのだった。私は彼からレコードを借りて、カセットテープに録音して、毎日のように聴いていました。それが、引っ越しの時にどこかにしまい忘れたようで、30年間もう一度聴きたいと思いながら聴けないでいたのです。

 あのとき抱いていた感情は、実はこのSindhu Bhairavi のモードだったのですね。最初に書いたと思いますが、インド古典音楽のRAGAというのは、「こころを彩るもの」という意味があります。あのとき脳裏に鳴り響いていたのは、他でもないこのThmuri Sindhu Bhairavi だったのです。Sindhu Bhairavi は神々への祈りのラーガです。

 屋久島に移り住んだ直の家におじゃました時に、レコードを探してもらったのですが、その時は見つからず、幻のレコードになっていた…


 それが今頃になって、ようやく入手できたわけですから、本当に待ち遠しく、アメリカ版が在庫切れと連絡を受け、何としてでも手に入れようと日本版を手配してようやく手に入れました。

 久しぶりに聴いてみると、印象が違うようでしたが、二度三度と聴いてみるとやはりすばらしく思えます。
 共鳴弦が強く共鳴して、聞き慣れない人には雑音のように聞こえるかもしれませんが、インド音楽では倍音が豊かな音が好まれ、わざわざジョワリというビリつき音を出すような作りにしているのです。

 Pramod のThumuri ですね。彼の思い入れが現れている、Sindhi Bhairavi です。ぜひ、お楽しみ下さい。



 

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