インド精神世界への旅は琉球弧の向こうに見えた。
今は屋久島で山岳ガイドをやっている友人の直から誘われて、世界のコンミューン運動のメッカとも言うべき諏訪之瀬島を訪れることになったのだ。
かつての祭りの饗宴の熱気は遠く、地元に根付いた新住民の先達たち。
バンヤン(Baniyan Yoga Ashram)には、ジョーとナーガの2家族、他には島の区長を務めていたナンダ一家、ぼやきのゲタオ一家、自称アナーキストのサンキスト、火山研究家のアオキ…
やはり同級生のシチューは臥蛇島に出かけていて、不在だった。
あだ名から分かるように、
彼ら「部族」のメンバーはいわゆる「インド帰り」だった。
60年安保が過ぎて、
コンミューン運動に身を投じ、世界を放浪し、
ある人はイスラエルのキブツで生活し、
ある者はウッドストックに参加し、
そして、インド精神世界に感化されて、
諏訪之瀬島にコンミューンを作って定住した。
当時、私の座右の書であった「スッタニパータ」(仏陀の言葉…岩波文庫)的世界にふれた最初の経験であった。
私の主目的は、島尾敏雄の「出発はついに訪れず」の舞台となった
奄美大島の加計呂間島を訪れることだった。
次の十島丸が寄港するのを待って、私は一人奄美に向かった。
ここで、友人のシチューと会うことができた。
一晩中話をして、コタツでごろ寝した。
彼は近々インド・ネパールを旅してくると言った。
ネパールのカトマンズで仏教画を収集・研究・制作している人のところにお世話になるという。
私は、登山が好きだったので、ヒマラヤトレッキングをしたいという希望を持っていた。
「現地で会うことができたら、また会おう」
…と話をして、私は加計呂間に旅立った。
ミホ夫人的世界を納得した私は、さらに当てもなく沖縄から先島諸島を流れ歩いた。
このような長い一人旅は初めてだった。
帰りは那覇から船旅を選び、揺れる風呂につかりながら、
ヒマラヤトレッキングの計画を練り始めていた。
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