カトマンズに到着
ネパールはヒマラヤ山脈の麓という感じで、目的のカトマンズは盆地だった。
インドと比べると緑も多く、どこかホッとする。
空港の建物は驚くほど小さく、成田のようにどこに行くのか迷うような事はなく、ポツンと一軒家が建っているといった風情だ。電気もついていない空港は初めてだ。
簡単なチェックアウトを済ませて、ロビーに出てみると、ガラスのない鉄格子窓から無数の客引きらしい連中が中を覗いていて、ぎょっとする。
外は夕日が射していて、シルエットになった無数の日焼けした顔と、さしのべられている手。まるで、動物園の檻の中と外状態。
荷物が搬入されるのを待っていると、台車を連結したカートがやってきて、荷物を人力で仕分け台の上に乗せるのだけれど、扱いが非常に雑だった。
わたしの小さなザックは金網で内フレームを自作したもので、ナイロン帆布が張りつめているため、コロコロしており、見ている前で荷物の山からコンクリート床に転げ落ちてしまった。
中にはカメラや電気カミソリなどの文明の利器がはいっているので、肝を冷やしたが、どちらも破損はしていなかった。
荷物の出てくるのが遅い順番だったせいか、手続きを済ませて外に出ると、空港バスはすでに出発していた。実にいい加減で、乗り遅れた外国人乗客たちは、客引きの格好の餌食となった。
外人だと法外な運賃をふっかけられるので、いったんロビーに戻り、警備の警官を呼んできて、宿泊予定のコテージ・オーロラのあるディリー・バザールに行くよう、値段の交渉をしてもらった。
インドでもそうだったが、ここでも警官は強権的で、こん棒を振り回し、悪徳(?単にワイロを使っていないだけか)運転手を排除して、一台のタクシーを紹介してくれた。
チップを渡すと、この警官は頭をかしげるOKの合図をして、次の観光客の方に向かって行った。
長いような短いような、全く初めての土地をきょろきょろしながらタクシーに揺られ、ようやく目的のコテージに到着した。
建物は石塀と鉄の門で閉ざされており、わたしは大声をあげて中の人を呼び出した。
ほどなく高校生くらいのボーイが出てきて、わたしを迎え入れてくれた。この少年は日本語を日本人の小学生レベルで話せる。(後で分かったのだけれど、年齢は20歳以上で、結婚しているのだとか)
コテージ・オーロラの女主人藤原黎子さんはモスクワ友好大学に留学中に、カトマンズ出身のご主人ナラヤン・N・バイジャさんと知り合い、後に結婚してここにコテージを開業したという。
(その後のたよりではお二人は離婚をしており、藤原さんは別な場所でコテージをオープンすべく支援を集めに日本に戻られたそうですが、わたしも仕事で何度か転居しており、連絡が取れなくなってしまいました。)
ともかくも、安心して食べられる食事と、安眠できる部屋を得られて、ホッとしました。
インドと比べると緑も多く、どこかホッとする。
空港の建物は驚くほど小さく、成田のようにどこに行くのか迷うような事はなく、ポツンと一軒家が建っているといった風情だ。電気もついていない空港は初めてだ。
簡単なチェックアウトを済ませて、ロビーに出てみると、ガラスのない鉄格子窓から無数の客引きらしい連中が中を覗いていて、ぎょっとする。
外は夕日が射していて、シルエットになった無数の日焼けした顔と、さしのべられている手。まるで、動物園の檻の中と外状態。
荷物が搬入されるのを待っていると、台車を連結したカートがやってきて、荷物を人力で仕分け台の上に乗せるのだけれど、扱いが非常に雑だった。
わたしの小さなザックは金網で内フレームを自作したもので、ナイロン帆布が張りつめているため、コロコロしており、見ている前で荷物の山からコンクリート床に転げ落ちてしまった。
中にはカメラや電気カミソリなどの文明の利器がはいっているので、肝を冷やしたが、どちらも破損はしていなかった。
荷物の出てくるのが遅い順番だったせいか、手続きを済ませて外に出ると、空港バスはすでに出発していた。実にいい加減で、乗り遅れた外国人乗客たちは、客引きの格好の餌食となった。
外人だと法外な運賃をふっかけられるので、いったんロビーに戻り、警備の警官を呼んできて、宿泊予定のコテージ・オーロラのあるディリー・バザールに行くよう、値段の交渉をしてもらった。
インドでもそうだったが、ここでも警官は強権的で、こん棒を振り回し、悪徳(?単にワイロを使っていないだけか)運転手を排除して、一台のタクシーを紹介してくれた。
チップを渡すと、この警官は頭をかしげるOKの合図をして、次の観光客の方に向かって行った。
長いような短いような、全く初めての土地をきょろきょろしながらタクシーに揺られ、ようやく目的のコテージに到着した。
建物は石塀と鉄の門で閉ざされており、わたしは大声をあげて中の人を呼び出した。
ほどなく高校生くらいのボーイが出てきて、わたしを迎え入れてくれた。この少年は日本語を日本人の小学生レベルで話せる。(後で分かったのだけれど、年齢は20歳以上で、結婚しているのだとか)
コテージ・オーロラの女主人藤原黎子さんはモスクワ友好大学に留学中に、カトマンズ出身のご主人ナラヤン・N・バイジャさんと知り合い、後に結婚してここにコテージを開業したという。
(その後のたよりではお二人は離婚をしており、藤原さんは別な場所でコテージをオープンすべく支援を集めに日本に戻られたそうですが、わたしも仕事で何度か転居しており、連絡が取れなくなってしまいました。)
ともかくも、安心して食べられる食事と、安眠できる部屋を得られて、ホッとしました。












